看護師が仕事中に考えること。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
パパよんです。
最近私の病棟はコロナ関係での欠員が多く、人手不足です。
家族がコロナになって濃厚接触者で隔離。
自分がコロナになって隔離。
冬になり、今週は心外の急患が多数。
病床は埋まり、重症度も高めに、
だけど人はいなくてカツカツな勤務。
人手不足が深刻ですw
一応私の働くエリアは2対1看護です。
普通の一般床は7対1です。
それに比べるとかなり手厚い環境です。
それなのに手が回らないんです。
もう先生たち、やりたいなら勝手にやってくださいw
私がコロナ病棟にお手伝いに行ってる隙に増えに増え
私が久しぶりに入ると、『初めまして』の患者さまばかり。
朝から情報が取り切れません( ; ; )
今日はそんな日勤でしたw
さていつも働いている中で、看護師が思うことの一つについて
よければ一緒に考えて欲しいです。
看護師って意外と色々なこと考えているんです。
仕事の回し方。
時間の使い方。
タイムスケジュール。
患者との会話の時間。
処置の時間。
入院の対応。
患者の今後の方向性。
家族の対応、ケア。
医師や他職種と連携。
もう数え切れないくらいのことを考えながら仕事してます。
今上げてみてもこんなにすらすら上がるものなんだと、
自分でもちょっと驚きですw
働いていると度々ジレンマに出くわします。
至る所にそいつは潜んでいます。
医療における倫理ジレンマですか?
倫理ってなんだろう?
ジレンマってなんだろう?
って思いますよね。
私も未だにわかりません。
私が未熟なのもありますが、
本当に難しいです。
●倫(人の輪、仲間)+理(模様、ことわり)=倫理(仲間の間での決まり事、守るべき秩序)
つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごとのようなものです。
●ジレンマ:相反する2つの選択肢からどちらか一方を選ばなければならず、かつそのどちらかを選んでも不利益を被りかねない状態。
看護師をしていて思う倫理・ジレンマとはどんな時なのでしょうか?
仕事をしているとすごくたくさんありますね。
例えば、
記憶障害(認知症etc)の患者が手術のために入院されました。
しかし患者は術前の検査・処置で軽度の痛みを伴うなど、不快に感じることが多く手術を望んでいません。
それに加え、
なぜ自分が入院しているのか。
なぜここにいるのか。
そもそもここはどこなのか。
あなたたちは誰なのか。
家族はどこなのか。
何もかもわかりません。
もうなんのために、なぜここにいるのかもわからない状態です。
患者は不安でどうしようもありません。
しかし、患者は治療(手術etc)が必要な状態です。
治療をしないと確実に死が待っています。
治療を受けることができればまだ十分に完治が見込める状態です。
患者の意思をそのまま受け取れば、意思の尊重になりますが、
治療をしないことで不利益を被ります。
患者の意思を無視し治療を行えば、
意思を尊重することはできないが、患者にとって利益となります。
この方の治療は中止すべきですか?治療はするべきですか?
同じようなケースでは、高齢で家族から入院を勧められ、家族が手術を望んでいることから、家族・医師から手術を進められ、その場では手術を決めますが、すぐに忘れてしまったり、気が変わったりと混乱してしまう方もいます。
すごくわかり易く言うと、
『嫌がる患者に説得して治療をしていく。』です。
これだけ聞くとすごく嫌な言い方に聞こえますよね。
しかし、本当に嫌がっているのでしょうか。
もちろん、その方の意思も尊重されるべきです。
”昔から手術を受けたくない、治療はしない。”
”最後は自分で決めている。”
意思表示をしていた人はまた違います。
しかし、上で例えたような人はどうでしょう?
ただ今の現状が嫌になってしまっている状態なのかもしれません。
ただ訳もわからない状態で、知らない看護師や医師に囲まれて抵抗しているだけかもしれません。
正確な判断ができる認知がないのかもしれません。
ただただ自分の状態が受け入れられない。自暴自棄になっているのかもしれません。
医療に携わり、
患者の命を最優先に考えた時、
治療をすることで命が救われる。
それは治療を勧めます。
もちろんcase-by-caseですが。
上にあげた内容は、明らかに治療を受けることで症状の改善が望める。
(ガイドラインがあり、治療による効果が証明されているなど。)
しかし患者が現状を正確に理解し、正確な判断ができない状態での出来事になるため、
いくら本人が言っていることがそうだとしても、
それをそのまま聞き入れることは医療現場ではありえません。
患者に対して明らかに不利益になることは避けなければなりません。
看護師は患者のために善行を尽くさねばなりません。
患者が納得して治療を受けれるように説明し、
寄り添う必要があります。
時には家族の協力もらいながら、色々な方面から患者が不安なく治療に望めるようにサポートしています。
正直この例えは明らかに患者の不利益が明確であり、看護の場での倫理・ジレンマになるかと言うと微妙ですが、わかりやすいので例えてみました。
私のいる病棟は重症な方が多くいます。
術後のリカバリ室も兼用しているのでいつもではありませんが、
重症な方が運ばれてくる確率が高いところになるので、
タイミングが重なると呼吸器に繋がれた方半分以上を占めることもあります。
この記事を読んでいる方の中に医療者が何人いるでしょうか。
医療と無関係な方が何人いるでしょうか。
きっと医療者であれば、重症でありこれ以上の治療が本当にこの人にとって必要なものなのだろうかと疑問に思ってしまう瞬間ってありませんか?
医療者からみた患者の状態から予想される今後の状況と、
家族が望む未来とでは少し現実的に乖離があります。
もちろんそれもcase-by-caseですが、
この患者が今後この治療を続けてよくなる可能性が薄い。
治療を続けたところで、患者本人のためになっているか。
家族は望んでいるが、本人だったらどうしたかったのか。
本当に色々な現場に出くわします。
ただこの倫理ジレンマって答えが中々ないんですよね。
どっちも正解だし、どっちも不正解かもしれない。
カンファレンスをして、その患者に何が必要なのか。
家族の気持ちとか、
医師の方針とか、
色々みんなで考えて導き出していく、
患者のことをみんなで考える機会を作ることが大切なんですよね。
もやもやすることを、みんなで話して共有して、考える。
もう少し私の病棟にちなんだ症例も上げてみたいですが、
今日はこの辺で。
多分医療に携わっていない人も、
自分の家族がそんな時どうしよう?って考えながら見てもらうといいんじゃないかなって思います。
いずれまた自分の振り返りにもなるので記事にしたいなと思います。
ありがとうございました。